大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岐阜地方裁判所大垣支部 昭和42年(わ)23号 判決

被告人 千田孝司 外二名

主文

被告人千田孝司、同佐藤満洲男を各懲役三年六月に、被告人井上詔を懲役二年に、それぞれ処する。

未決勾留日数中、被告人千田孝司、同佐藤満洲男に対し各一七〇日を、被告人井上詔に対し一五〇日を、それぞれの刑に算入する。

訴訟費用中、証人片桐丈男、同吉池裕、同松田英二に支給した分の各二分の一を被告人千田孝司の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一(一)  被告人千田は、小笠原義光と共謀のうえ、別表1・4・6記載のとおり、昭和四一年一二月二九日、昭和四二年一月一三日、同一八日頃の三回にわたり、大垣市高屋町一丁目国鉄大垣駅貨物引込線倉三番ホームにおいて、日本通運大垣支店長稲垣利貞管理にかかる半生菓子一箱外七点(時価合計約三万七〇〇円相当)を窃取し、

(二)  被告人千田、同井上は、共謀のうえ、別表2・29・30記載のとおり、昭和四一年一二月三一日、昭和四二年二月一六日、同一七日頃の三回にわたり、大垣市見取町四丁目大垣バツテイングセンター東前道路外二ケ所において、小倉久雄外二名の所有または管理にかかる現金六〇円およびホンダベンリーオートバイ一台外二四点(時価合計約六万二、九二〇円相当)を窃取し、

(三)  被告人井上は、小笠原義光と共謀のうえ、別表3・5記載のとおり、昭和四二年一月七日、同一四、五日頃の二回にわたり、前記(一)と同じ場所および被害者から、中古日立テレビ一台外三点(時価合計約二万八、九七〇円相当)を窃取し、

(四)  被告人千田、同井上は、高橋鉄夫と共謀のうえ、別表7・8・9記載のとおり、昭和四二年二月四日から五日にかけて三回にわたり、大垣市見取町四丁目西濃通運倉庫外二ケ所において、国枝清美外二名の所有または管理にかかる自動車用シートカバー二枚外二一点(時価合計約一万一、六四〇円相当)を窃取し、

(五)  被告人千田、同井上は、杉野達成と共謀のうえ、別表10ないし15記載のとおり、昭和四二年二月一〇日から一一日にかけて六回にわたり、大垣市桐ケ崎町一五北村金市方貸ガレージ外五ケ所において、川崎光治外五名の所有または管理にかかる現金四、八七〇円、ガソリン約三〇リツトルおよび自動車用安全枕一箇外約二九六点(時価合計約一万七、八八六円相当)を窃取し、

(六)  被告人千田、同井上は、杉野達成、牧野久雄と共謀のうえ、別表16ないし22記載のとおり、昭和四二年二月一二日から一三日にかけて七回にわたり、大垣市北切石町二丁目一二七 真砂博方前道路外六ケ所において、真砂博外六名の所有または管理にかかる現金約三〇〇円、ガソリン約二〇リツトルおよび乗用車用敷物一枚外約二七点(時価合計約八万七、九二〇円相当)を窃取し、

(七)  被告人千田、同井上は、杉野達成、牧野久雄、林敏明と共謀のうえ、別表23ないし28記載のとおり、昭和四二年二月一四日から一五日にかけて六回にわたり、大垣市千鳥町大垣不動産所有の空地外五ケ所において、金森長信外五名の所有または管理にかかるガソリン約二〇リツトルおよび運転免許証二冊外約三七点(時価合計約一三万四、四二〇円相当)を窃取し、

(八)  被告人三名は、共謀のうえ、別表31ないし35・38ないし43記載のとおり、昭和四二年二月一八日から同月二二日までの間前後一一回にわたり、大垣市林町七丁目渡辺酒造東側道路外一〇ケ所において、吉田清外九名の所有または管理にかかる現金四万五三一円、ガソリン五リツトルおよび普通乗用自動車三台外約三七四、五点(時価合計約一六六万六、二五五円相当)を窃取し、

(九)  被告人千田、同佐藤は、共謀のうえ、別表36・37記載のとおり、昭和四二年二月一九日に二回にわたり、岐阜市日野権現有山三、九六八の二一六株式会社丸栄ガソリン岩田坂給油所外一ケ所において、広木耕三外一名の所有または管理にかかる現金四八五円を窃取し、

(一〇)  被告人千田は、別表44記載のとおり、昭和四二年三月九日、大垣市見取町四丁目四一の一島田ガレージにおいて、近藤和明所有の軽二輪車一台(時価約八万円相当)を窃取し、

第二被告人佐藤は、公安委員会の運転免許を受けないで、昭和四一年一一月二一日午後二時頃、大垣市桐ケ崎町六番地附近道路において、原動機付自転車(大垣市一七七五号)を運転し、

第三被告人千田、同佐藤は、相被告人井上と共に、窃取した自動車二台に分乗して岐阜県養老郡養老町に至り、別表42記載のとおり昭和四二年二月二二日午前二時二〇分頃、同町高田九二九番地の一、石油販売業野寺商店の店舗兼事務所内に侵入して犬のマスコツト三個を窃取し、さらに別表43記載のとおり同日午前二時四〇分頃、右野寺商店より約五〇〇米南方の同町押越九三三番地の一東村石油店においてガス三ツ口器具一個を窃取し、さらに引き続いて同日二時五〇分頃、右東村石油店のすぐ南側にある同所九七三番地の一高田石油株式会社の店舗兼事務所へ窃盗の目的で侵入しようとしたが、戸締りが厳重なため侵入を断念しかけていたところ、折から右野寺商店より盗難被害の届出を受けて無線自動車で犯人捜索中の養老警察署勤務巡査片桐丈男(当時四〇年)および同松田英二(当時二〇才)に発見され、「何をしとる」と誰何されるや、相被告人井上はいち早く逃走したが、被告人千田および同佐藤は、右高田石油の店舗兼事務所内に停車させておいた普通貨物自動車(三菱コルトライトバン)に乗り込み、被告人千田がこれを運転して北方に向けて逃走しようとしたが、右両巡査は被告人らを前記野寺石油における窃盗の準現行犯人と認めこれを逮捕しようとしたところ、

(一)  被告人千田は、右片桐巡査が右自動車を発進させまいとしてその運転席側ドアーに取りつき、右ドアーから手を差し入れてエンジンキーを抜こうとしているのを認識しながら、逮捕を免れるため、その状態で発進・加速すれば同巡査が引きずられて路上に転倒するであろうことを知りながら強引に発進・加速し、十数米引きずられた同巡査をその場に転倒させ、よつて同巡査に対し、安静休養治療約一〇日間を要する左顔面、肘部・腰部・大腿基部各挫創ならびに挫傷の傷害を与え、以て同巡査の職務の執行を妨害し、

(二)  次いで、被告人千田、同佐藤は共謀のうえ、助手席側から被告人佐藤の後ろ襟首を右手で掴まえたまま右自動車に飛び乗った右松田巡査が左手で窓枠上部に掴まって不安定な体態で身体を支えているのを認識しながら逮捕を免れるため同巡査を自車から路上に墜落させて逃走しようと考え、被告人千田において被告人佐藤に「落せ落せ」「どづいて落せ」と申し向けると共に、県道四五号道路(大垣・養老公園線)を北に一〇〇米余り時速約二〇粁から順次加速して約四〇粁に達する間二、三回蛇行運転をしたが過つて同町押越字中島九二〇番地の二地先同県道の道路脇に駐車中の大型貨物自動車の右後部に自車の助手席側ドアーを衝突させたので、それからは時速六、七〇粁に加速して北へ同県道を直進したが、被告人佐藤は、すでに右のような不安定な姿勢になつて墜落しそうになつている同巡査が車体に掴まつている手の甲部を右手に持つていたドライバー又はブライヤーをもつて小突いてその手をはなさせ、よつて、同巡査を出発点より二三〇米余り北進した同町高田四二四番地の二地先路上に転落させ、同巡査に対し同年七月二日まで入院加療を、同年八月中旬まで通院加療を要した左下腿脛骨腓骨複雑骨折等の傷害を与え、もつて同巡査の公務の執行を妨害し、

第四被告人千田は、昭和四二年四月一四日窃盗罪により岐阜家庭裁判所大垣支部裁判官の観護措置決定(同月二四日更新)により少年鑑別所に送致された後、同年五月一一日右窃盗を含む罪で岐阜地方検察庁大垣支部検察官に送致され、同日から大垣市緑園一一六番地所在大垣拘置支所に勾留されていたもの、被告人佐藤は、同年四月六日窃盗罪により大垣簡易裁判所裁判官の発付した勾留状により、同月二八日から右拘置支所に勾留されていたもので、被告人佐藤は同月一四日、被告人千田は同年五月二〇日右各窃盗罪で起訴されていた、いずれも未決の囚人であるが、同年六月七日午前九時からの運動時間中、意思を連絡して逃走を通謀したうえ、看守の隙をうかがい、同日午前九時二〇分過頃、同拘置支所のコンクリート塀を乗り越え、共に所外へ脱出して逃走し、

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(判示第三の事実における片桐、松田両巡査の逮捕行為の適法性について)

被告人井上、同佐藤の弁護人は、両巡査の本件逮捕行為は極めて無謀・危険なものであつて、適法な公務の執行として保護さるべきものでないと主張するが、判示第三で示すように両巡査が高田石油店前で被告人らを発見した時は、被告人らが野寺石油店で窃盗を行い終つてから、時間的にも場所的にも接近しており、両巡査が野寺石油店の急報により同店に急行して家人より聞いたところによると、犯人は自動車二台で来ていたというのであるが深夜、閉店している高田石油店前に自動車二台が停めてあり、そのそばにいた被告人ら三人が誰何されて逃走しようとしたので、被告人らを準現行犯人と認め、これを逮捕しようとした行為は準現行犯人の逮捕として正当なものと認められるところ、逮捕権がある以上、それ相当な実力をもつて犯人の逃走を阻止し捕えることができるのであり、本件のように自動車で逃走しようとした被告人らを逮捕するため、発車しかけた自動車のドアーから手を差し入れてエンジンキーを抜こうとし、あるいは停車を命ずるため自動車に飛び乗ることは自己に危険を伴う行為ではあるが無謀というほどのものではなく、又犯人に対し危険を及ぼす行為でもないので、相当な実力行使の範囲内にあるものというべく、両巡査の本件逮捕行為は適法な公務の執行というべきであり、弁護人の前記主張は採用できない。(被告人千田、同佐藤に対する殺人未遂の訴因に対し殺人未遂の事実を認定せず、傷害罪と認定した理由)

被告人千田、同佐藤に対する殺人未遂の訴因の要旨は、判示第三の日時・場所(高田石油店前)において、右被告人両名は共謀のうえ、コルトバン普通自動車に乗車し被告人千田がこれを運転して逃走しようとした際、松田英二巡査が助手席から飛び乗り逮捕しようとしたので、逮捕を免れるためには同巡査が死んでもかまわないから振り落そうと考え、約一〇四メートルの間高速ジグザグ運転をなし、その上同町押越九二〇番地の二地先県道四五号大垣・養老公園線路上に駐車中の大型自動車後部に同巡査を突き当てんとして助手席側ドア附近を衝突させ、その間被告人千田において被告人佐藤に対し「落せ、落せ」「どずいて落せ、どずいて落せ」「早くせい、早くせい」等と指示し、被告人佐藤はこれを受けて突き落せば死ぬかも知れないと思いながら右巡査の両手をドライバー及びブライヤーで殴りつけ、約一一三米進行した同町高田四二四番地の二地先において時速約八〇粁の高速運転中の同車から同巡査を県道上に転落せしめ、安静休養約六ケ月間を要する左下腿脛骨腓骨複雑骨折、両手掌右下腿足背挫創の傷害を負わせたにとどまり、殺害するに至らなかつたものである、というのであるがこれに対し、当裁判所は右の未必的殺意を排斥して判示第三の(二)のとおり傷害の事実を認定したので、以下にその判断を示す。

一、(一) 右被告人両名の未必的殺意の点はしばらく措き、まず右の外形事実が認められるか否かについてみると、判示第三の事実の認定の証拠として掲げた前掲各証拠を綜合すると、判示第三の(二)の事実を認定できるのであつて、

(イ) 「約一〇四米の間高速ジグザグ運転をした。」という点は、証人松田英二は、その間八〇粁位は出ていたように思う旨供述するが、自分の感じを述べたものにすぎず、発進して間もない時であり、駐車中の大型貨物自動車に助手席側ドアが衝突しながら、車体にも又乗つていた松田巡査にもそれほどの打撃は受けていなかつた点から考えても、右のような高速は出ていなかつたものと認められ、又ジグザグ運転の回数についても、同証人も供述するように二、三回にすぎなかつたことが認められる。

(ロ) 「駐車中の大型自動車後部に松田巡査を突き当てんとして助手席側ドアを衝突させたものである。」という点は、松田巡査はそのように思つた旨当公判廷で供述しているが、同巡査の乗つていた被告人千田運転の自動車が駐車中の大型自動車の方に走つて寄つて行つて衝突したのであるから、同巡査がそのように感じたのは無理からぬところではあるが、被告人千田が衝突後はジグザグ運転をやめて車を直進させていることや、駐車中の大型自動車に疾走中の自車のドアを衝突せしめるという行為は自分自身にとつても極めて危険な行為であるから、それを敢て行うということは通常考えられない点などを考えると、被告人千田が一貫して述べているように、故意に衝突させたのではなく、ジグザグ運転をしたため、たまたま道路端に駐車中の右大型自動車に衝突してしまつたものと認めるのが合理的である。なお、被告人佐藤の司法警察員(昭和四二年四月九日付)や検察官(同年五月一五日付)に対する供述調書には「井上を乗せて逃げる途中、千田は私に『ぶつつけたのは道に停つていたトラツクで警察官を落すためにやつたんや』といつた。」旨の記載があるが、同被告人も当公判廷ではこの点はつきりした記憶はない旨述べており、被告人井上の警察官に対する昭和四二年五月一六日付供述調書には「逃げる途中千田から『巡査が車に乗つて来たのでジグザグ運転をしてふり落してやつた』というようにきいた。」旨の供述記載があり、被告人千田は「自分が云つたのは巡査を落してやろうとしてジグザグ運転をしてやつたら停つていた車にぶつかつてしまつたと話したものである。」(同年五月一九日付検察官に対する供述調書)旨述べており、果して被告人千田が被告人佐藤に対し、同被告人が聞いたという前記のようなことを述べたものか疑問がある。

(ハ) 被告人佐藤が「松田巡査の両手をドライバー及びブライヤーで殴りつけた」という点については、松田巡査は当公判廷において殴られたことはなく、ドライバーで手の甲を突かれたと思う。バツと力強く突かれたのではなく、ちよこちよことつつく突き方でした。バツと強く突かれたのならもつと手に傷がある事になつたと思う。」と述べている点や、同巡査の手の負傷の状況、着用していた手袋(昭和四二年押第一二号の一)の状況よりみて判示第三の(二)で示すようにドライバー又はブライヤーで同巡査が車体に掴まつている手を小突いてその手をはなさせたものと認めるのが合理的である。

(二) 「前記衝突後時速約八〇粁で高速運転をした。という点は松田巡査は当公判廷で「それ位の速度は出ていたように思うが感じであつて実際は何粁であつたか分りません。」と述べており、被告人千田、同佐藤の各供述及び供述調書や松田巡査の受傷の状況から判断すると、速度は判示第三の(二)で示すように六、七〇粁位であつたものと認められる。

二  さて未必的殺意の点については、被告人千田は、死亡の危険性については考えることなく、逃げたい一心でやつたことである旨逮捕以来終始これを否定しているのであるが、被告人佐藤の本件についての最初の供述調書である昭和四二年四月八日付司法警察員に対する供述調書中には「座席に掛けている手をはずさせれば落ちると思いました。今落ちれば車は相当早いスピードで走つているから警察官は死ぬかもしれないと思いましたがそんな事より自分に捕まりたくないという考え方の方が強かつたために私が右手に持つていたドライバーとブライヤーで座席のところを落ちまいと掴んでいる警察官の手を二、三回殴りましたところ警察官は痛かつたのか手をはなしてあお向きに落ちてしまいました。」旨の供述記載がある。しかし同被告人の未必的殺意を肯定するかの如き供述又はその記載はそれがあるだけであって、同被告人の検察官に対する同年五月一五日付供述調書には「このように走つている自動車から警官を落せば警官が怪我するかも判からん位は判かつてはいましたがとに角逃げたいばかりにこの様に手を叩いて落してやりました。この様な場合落した警官は打ち処が悪かつたりすれば死んでしまうかも判かりませんが、この時は落せば警官が死ぬかも判からんなどという事までは考えて見る余裕はなく、怪我位はされるかも判らんがとに角落して逃げようという気持でした。」旨未必的殺意を否定する当時の心理状態について詳細な記載があり、同月一九日付検察官に対する供述調書にも同趣旨の記載があつて、これらを綜合すると、右殺意を肯定する前記供述がしかく自発的に当時の同被告人の心理をありのままに述べたものとの心証を惹き起こすに足りないのである。されば諸般の事情を検討することなく前記供述によつて直ちに同被告人に未必的殺意があつたものと速断することは早計であるといわなければならない。

三  しかしながら疾走中の自動車から不安定な姿勢にある者を路上に墜落せしめる行為は地表に身体を強打させ或は自車またはこれに後続する他車に轢れる危険性が高いから相当の負傷を与えるであろうことは通常一般に予見できるところであり、本件被告人らも本件当時少くとも傷害の結果を認識し、かつそれを認容していたものと推認することができるのであるが、さらに死の結果をも認識し、認容していたものかどうかということになると、加害者の運転方法、速度、距離、被害者の受傷の部位、程度、墜落状況、位置、体勢、着装ならびに着衣、道路状況、交通量当該車輛の状況など具体的状況下における危険の程度をし細に検討して、その状況の下においては墜落により一般的に致死の結果を招来する可能性が高度であると判断するのが合理的な場合には精神状態に特に異常が認められる等特別の事情のある場合を除き、致死の結果について未必的殺意があつたものと推認することができると考えるので、以下本件の場合そのような推認ができる状況が認められるか否かについて検討する。前掲各証拠によると、

(イ) 加害者の運転方法、蛇行運転をした距離、回数、その際の速度、直進に移つてからの速度、墜落までの距離、被告人両名が松田巡査を墜落させた方法については判示第三の(二)並びに前記一項において示すとおりである。

(ロ) 被害者の松田巡査は警察官の制服を着用し、頭にはヘルメツトをかぶつていたこと。

(ハ) 松田巡査は被告人千田の運転する自動車の助手席側から身体を乗り入れ、右手で被告人佐藤の襟首を掴み、左手でその自動車の窓枠上部に掴まり、身体の後半身は車外に露出しているといつた姿勢で、両足少くとも左足は助手席側の車体の床にのせて立つていたものであること。

(ニ) 松田巡査は当時二〇歳の健康な警察官であつたこと。

(ホ) 被告人千田の自動車が松田巡査を墜落せしめるために走行した道路は大垣-養老公園線県道四五号で幅員約一〇米のアスフアルト舗装の平担な直線道路であること。

(ヘ) 当時は深夜でもあり、犯行後間もなく被告人千田の自動車を追跡して現場に到着し、松田巡査を収容した片桐巡査運転の無線自動車以外には後続車のあつたことは認められないこと。

(ト) 松田巡査の転落した体勢は明かではないが、負傷の部位からみると足から着地したものと想像されること。

(チ) 松田巡査の受傷の程度は判示第三の(二)で示すとおりであつて重傷ではあるが、直ちに手当を加えなければ生命に危険があるという程のものではなく、頭部、胸部、腹部、腰部等身体要部には別に負傷も痛みもなく、意識も墜落の際一瞬気を失つた模様であるがすぐに回復し、いざつて道路側に避譲し、片桐巡査も松田巡査を収容後直ちに病院に急行することなく、松田巡査を収容したまま一時犯人の追跡を続行したものであること。

(リ) 被告人千田の運転した右自動車は三菱コルトライトバン一〇〇〇ccであつて、該車種の地上から運転(助手)席の床までの高さは約二十数糎であること。

以上の諸事情が認められるのであつて、特に(ハ)、(ヘ)、(チ)、(リ)の諸点からみると、松田巡査が路上に墜落した際、被告人千田の運転する右自動車又はその後続車に轢かれる危険性は比較的少なかつたものと認められるのであるが、地表に身体を強打し相当の負傷を受けるであろうことは当然推認できるところ、松田巡査の負傷が前記の部位、程度でとどまりえたのはいかなる理由によるのか――例外的ななんらかの僥倖によるのか、もしくはその状況の下においては通常生ずべき負傷であるのか――これを説明しうる合理的根拠を見出し難いので、本件の場合一般的にみて墜落により致死の結果を招来する可能性が高度であると断定するにはなおちゆうちよせざるをえないのであつて、本件の具体的状況からも被告人両名の末必的殺意を推認することはできないのである。

四  右のほか、もし逃走のために未必的であるにせよ殺意を以て本件を敢行したとすれば、被告人佐藤は手にドライバーやブライヤーを持つていたのであるから、それで同巡査の身体要部を突き刺すか或は殴りつけて墜落させることは容易にできる状況にあると認められるのに、そのような方法を用いることなく、車体に掴まつている同巡査の手の甲を小突いてその手をはなさせて墜落せしめたという、いわば消極的方法を用いている点や墜落後相被告人井上を収容するために引き返すということは殺意を以て犯行をなした場合通常考えられないのに引き返している点などに徴しても、被告人両名が死の結果まで認識してあえて本件に及んだと推測するには疑問を禁じえないのである。

五  以上のとおり未必的殺意を肯定する被告人佐藤の前記供述記載は真実を述べているものとしてたやすく措信することができず、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、判示のとおり傷害の事実を認定した次第である。

六  なお付言するに、検察官が論告で引用する昭和三七年五月一七日大津地方裁判所判決は、疾走中の自動車から警察官を墜落させた事案につき未必的殺意ありとして起訴された点で本件とは類似するが右事案は同判決文の記載(下級載判所刑事裁判例集第四巻第五・六号四四九頁)によると「被告人運転の自動三輪車に飛び乗つた警察官が運転席左扉の窓枠を押し開いて顔と肩を運転席内に突込み、その後部左側に備えてある吊革を片手で掴み、他方の手を荷台と運転席の接合点にあるアングル附近に置き、運転席左扉附近にぶら下り、両足共宙に浮き今にも墜落しそうな姿勢にある同警察官を右自動三輪車を疾走せしめて路上に墜落させ、その際左後車輪で同警察官の左足先を轢き、よつて頭蓋底骨折、頭骨々折、左第一乃至第一二肋骨、右第一乃至第七肋骨々折、肺損傷等により即死させた」事案であつて、医師の鑑定書等により右の如き状態で墜落すれば頭蓋底骨折により死亡の確率が充分あると認定できる事案であり、又当該被告人は検察官に対し未必的殺意を肯定する供述をしている事案であるので、同裁判所がこれに対し未必的殺意を認め殺人罪の成立を認めているからといつて態様を異にする本件とは同一には論ぜられないと考える。

(法令の適用)

被告人千田の判示第一(一)、被告人井上の同(三)、被告人千田および同井上の同(二)・(四)ないし(七)、被告人三名の同(八)、被告人千田および同佐藤の同(九)の各所為はいずれも刑法六〇条・二三五条に、被告人千田の同(一〇)の所為は同法二三五条に、被告人佐藤の判示第二の所為は道路交通法一一八条一項一号・六四条に、被告人千田の判示第三(一)の所為のうち公務執行妨害の点は刑法九五条一項に、傷害の点は同法二〇四条・罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人千田および同佐藤の同(二)の所為のうち公務執行妨害の点は各刑法六〇条・九五条一項に、傷害の点は各同法六〇条・二〇四条・罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人千田および同佐藤の判示第四の所為は各刑法九八条後段に該当するところ、右の判示第三(一)および(二)の各公務執行妨害と各傷害とはそれぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段・一〇条により一罪としてそれぞれ重い傷害罪につき定めた懲役刑で処断することとし、被告人佐藤の判示第二の罪につき所定刑中懲役罪を選択し、以上の被告人らの各罪はいずれも同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文・一〇条により、それぞれ最も重いと認められる被告人千田および同佐藤については判示第三(二)の、被告人井上については判示第一の(八)別表32の各罪の刑に法定の加重をし(ただし、被告人千田および同佐藤につき、短期はそれぞれ判示第四の罪の刑のそれによる。)た各刑期の範囲内で、被告人千田および同佐藤を各懲役三年六月に、被告人井上を懲役二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち被告人千田および同佐藤に対し各一七〇日を、被告人井上に対し一五〇日をそれぞれの刑に算入し、訴訟費用のうち証人片桐丈男、同吉池裕、同松田英二に支給した分の各二分の一を刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人千田の負担とし、その余は同法条一項但書を適用して被告人佐藤、同井上に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 水谷富茂人 牧田静二 北沢貞男)

(別表)〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例